本日、晴れて「学士」の学位を得た946名の学類生の皆さん、「修士」の学位を得た118名、「博士」の学位を得た3名の大学院生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。 新たな門出を、心よりお慶び申し上げます。
思い起こせば、皆さんが大学で過ごしたこの4年間は、激動の時代でした。 新型コロナ感染症の影響が色濃く残る中、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、生成AIが急速に広がりました。気候変動と異常気象は常態化し、アメリカとイスラエルの攻撃により中東情勢は悪化し、物価高騰も続いています。
そのような時代の中で、皆さんは誠実に学業を積み重ね、それぞれの分野で成果を上げ、こうして学位を手にされました。その努力に、心から敬意を表します。
さて、今年は、東日本大震災と原発事故から15年目という節目の年です。
15年前の今日、皆さんが座っているこの第一体育館のフロアは、被災地・浜通りから命からがら避難してきた百数十名が身を寄せる、段ボールの仕切りが立ち並ぶ避難所でした。
大学の意地にかけても、避難者に冷たいものは食べさせない。そう決意し、毎日温かい食事を作り続け、教職員と学生が一丸となって避難者の命を守りました。 工夫を凝らした避難所運営は、被災者から「日本一の避難所」と呼ばれました。 避難所のスタッフは、教職員に加え、公共交通機関が寸断され、自宅に戻れなくなった約70名の学生でした。
その中には、皆さんと同じように、3月25日に卒業式を迎えるはずだった4年生も大勢いました。
彼ら彼女らは、10日間も風呂に入れないまま、就職先のアパートも探しに行けないまま、避難者の支援を続けていたのです。
中通り地方には多くの子どもたちも避難していました。この子どもたちを支援するボランティアを始めようと、 学生を募集しました。当時は一斉メールもなく、口伝てで、30名を目標に募ったところ、まだ授業が始まっていないにもかかわらず、120名もの学生が集まってくれました。
避難生活が長引き、ストレスから暴力を振るう子どもたちもいましたが、それでも学生たちは、青あざをつくりながら毎週避難所や仮設住宅に通い続けました。 自分の就職活動よりも、子どもの世話を優先する学生もいて、避難者から心配されるほどでした。
福島県外出身の学生は、地元の同級生から
「どうしてあなたが原発被災地でそんなことをしなければならないの? そんなことは福島の学生に任せればいいのに」といわれ、つらい思いを抱えていました。学生の一人が言った言葉、「私たちはただ、子どもたちの笑顔を見たいからやっているだけなのに」。この言葉を、私は今も忘れることができません。
これらのエピソードを、私は学長に就任して以来6年間、この学位記授与式をはじめ様々な場面で話してきました。
紋切り型だと言われつつも、話し続けました。
それは、福島に生まれ育った一人として、福島大学の教員として、そして学生たちとともに震災後を生きた人間として、語り継いでいく責任があると考えたからです。
震災後、支援活動に取り組んだのは、必ずしも強い意志を持ち、有能で、活動的な者ばかりだったわけではありません。むしろ自分一人では何もできない、けれども仲間となら何か役に立てるかもしれない。そう思って集まった 学生の方が多かったと思います。 そしてその内側に葛藤や痛みを抱えながら、厳しい時代を、精いっぱい楽しみながら支援していたのです。
さて、これまで私は、世界は複雑になり、先行きが見通せなくなっている、といった言葉で説明してきました。
しかし今や、世界は明確に私たちの望まない方向へ向かっていると言わざるを得ません。 「人間が人間であること」の普遍的な価値が蹂躙され、偏狭なナショナリズムが大手を振るい、分断を煽る声が 日増しに強まっています。
人は教育を受けることで、自らの運命を決定する自由と能力を手にします。しかしそれは、自分のためだけの自由であってはなりません。
性別、言語、民族、宗教、政治的立場の違いを超えて、 他者にも同じ選択と決定の自由があることを理解すること。
さらに、他者の立場を想像し、理解しようとする努力を続けること、それによって、人間の尊厳は守られていきます。
この大切さは、被災地の福島で、この福島大学で学んだ皆さんだからこそ、リアリティをもって受け止めてくれるのではないかと思います。
卒業生の皆さん。
15年前、被災者の命を守るため、自らを顧みず支援を 続けた学生たちの後輩だということ、福島大学が過酷な 経験を乗り越え、挑戦を続けてきた誇り高い大学であることを、忘れないでください。
そしてどうか、困難な時代にあっても、人間の尊厳を 守る側に立つ人であってください。
皆さんが福島大学での学びを糧に、それぞれの場所で 元気に活躍されることを心から願い、送別の辞といたします。
令和8年3月25日
福島大学長 三浦浩喜