メニューを飛ばして本文へ

福島大学

Menu

令和2年度学位記授与式を挙行しました

令和2年度(3月期) 福島大学学位記授与式配信映像

令和2年度(3月期) 福島大学学位記授与式 「学長送別の辞」

IMG_3799.jpg

本日、晴れて「学士」の学位を得た982名の学類生の皆さん、「修士」の学位を得た87名、「博士」の学位を得た3名の大学院生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。新しい門出を心よりお慶び申しあげます。

新型コロナウイルス禍で幕を開けた令和2年度も残すところ数日となり、本日、ここに学位記授与式を挙行する運びとなりました。本来であれば、大学の第一体育館で執り行うべきところでしたが、数日後に卒業生の皆さんの多くは新天地に赴き、新しい生活を始めることから、万全の体制で送り出すことが大学の責務と考え、感染防止の観点からオンラインでの開催といたしました。

この学位記授与式ばかりではなく、大学時代の集大成となる卒業研究や修了研究、就職活動などが新型コロナウイルスのためにことごとく変更を余儀なくされました。他の世代とは異なる学生生活となりましたが、無事、この日を迎えられたことを、皆さんとともに喜び合いたいと思います。加えて、この1年間、本学のさまざまなコロナ対策にご協力をいただきましたことに、この場を借りて深く感謝いたします。

2019年末に確認された新型コロナウイルスは、この約1年で世界のあらゆるところに広がり、現在感染者は1億2千万人を超え、約270万人が亡くなりました。ワクチン接種が進行する一方で、変異種感染の割合も高まっており、収束には相当の時間がかかります。この1年、多くの都市のロックダウンや多国間の移動も制限され、最近では先進国によるワクチンの独占も、新たな問題となっています。密度の濃い人間関係を求めてきたこれまでの文化のあり方、グローバル化を標榜してきた世界の未来、それらが目の前で大きく変わりました。

変化したのはこれだけではありません。皆さんが入学して今日まで、社会はどれだけ変わったでしょうか。身近なところでは、携帯電話はあらゆるメディアのプレイヤーとなり、決済サービスやコミュニティ、人工知能も詰め込まれるようになりました。国内では、熊本地震や北海道地震が発生し、先日も福島県沖を震源とする震度6強の地震に見舞われました。温暖化の影響で50年に一度と言われた風水害が、毎年のように起こるようになりました。選挙年齢が18歳に引き下げられ、安保法案が成立したのも皆さんが在学している間でした。時代も平成から令和に変わり、5年間で人口は100万人減少し、老齢化率は2%増加しました。海外では、米国で自国第一主義を掲げるトランプ政権が国際政治に衝撃を与え、イギリスはEUを離脱しました。中国経済が世界に絶大な影響を及ぼすようになり、日本周辺の軍事バランスも大きく変わろうとしています。

近代社会は、人間の普遍的な権利が拡大され、社会の隅々に広がりを見せた時代です。もともと人権とは税金を納めている健全な成人男性にのみにしか与えられないものでした。しかし、人間のたゆまぬ努力によって、女性の権利をはじめ、労働者の権利、子どもの権利、障がい者の権利、先住民の権利、性的少数者の権利も認められるようになりました。社会の歩みは、弱者に権利を行き渡らせることでした。しかし、近年の国内外の動きは、力を勝ち得たものが権利を独占する風潮に変わりつつあるように見えてなりません。平等と正義を求める社会の倫理は、危機的な状況にあると言えるかも知れません。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。「高貴なる者の責任」、すなわち、恵まれている者は、そうでない者よりも多くの社会的責任を果たさなければならないという意味です。皆さんは高等教育機関で多くの知識や技術を学び、大きな力を身につけて社会に出て行きます。その力は自分のためだけに使うのではなく、よりよい社会を創るために使わなければなりません。その核にあるのは「人間の尊厳」です。

皆さんはこの福島大学で学びました。ちょうど10年前、福島は東日本大震災と原発事故により、悲劇的な地域として世界に知れ渡りました。

本来、皆さんの学位記授与式を挙行するはずであった、第一体育館の屋内をイメージして下さい。

今から10年前の3月、あの第一体育館内には、原発事故から避難してきた大勢の人々が生活していました。仕切られたダンボールのパーティションの中には、先行きの全く見えない不安といらだちを抱えた、子どもから老人までの家族が多数、必死に生きていました。

そして、その傍らには、本学の学生の姿もありました。通常であれば、皆さんと同じように3月25日に学位記を受け取るはずだった、晴れやかに着飾って紙吹雪を浴びて多くの人々から祝福を受けるはずだった何人もの4年生もいました。彼ら彼女らの多くは、交通が寸断されて実家に戻れず、第一体育館の避難所運営にあたっていたのです。10日以上も風呂に入っておらず、十分な食事もとることなく、4月からの赴任先は決まっていても、アパートを探しに行くこともできない、そのような状態で、避難者の命を守り続けていました。

「福島大学に避難してきた方々には、冷たいものは食べさせない」と、教職員と学生が協力して、温かい食事を毎食準備しました。自分の卒業式を迎えられなかった学生たちは、避難している子どもたちのために小さな卒業式を開いてあげました。

それらが、福島大学の震災復興支援の始まりでした。

私は、あの10年前の第一体育館の風景を忘れることはできません。震災から1年後、福島大学の学位記授与式の模様は、全国に放映されました。震災復興の福島大学から、どのような卒業生が輩出されるのか、全国の関心を集めました。卒業生の多くは、「苦しんでいる人々の力になりたい」「震災復興の力になりたい」と、誇らしくインタビューに答えていました。

皆さんは、たまたまそこには居合わせませんでしたが、福島大学の卒業生への期待は、今も変わりません。

今だからこそ、福島大学で学んだ意味、福島大学を卒業する意味を考えて下さい。今も大震災は収束しているわけではありません。人々の悲しみや苦しみは今も続き、新たに生まれてさえいるのです。

福島大学は地域の人々と共に、この震災復興期間を歩んできました。そして、これからもこの歩みは留まることはありません。福島は「21世紀的課題が加速した地域」といわれ、福島の課題解決は世界の課題解決ともいわれています。福島の課題の答えは、覚えた公式から導き出せるようなものではありません。複雑に絡み合う現実と格闘し、新たに「答え」をつくり出す以外にないと思います。

この福島で「解のない問い」に挑戦することの意味を学んだとするなら、この学びを是非、多くのところで語ってください。それが、本学を卒業する皆さんへのお願いです。

これからの皆さんが、福島大学での学びを誇りにして、ご活躍されることを祈念し、送別の辞といたします。

令和3年3月25日
福島大学長 三浦浩喜

令和2年度学生表彰一覧

ページトップ